インクルーシブを考えてみる<合理的配慮>

このブログをみつけてくれた方々、ありがとうございます。

このブログでは健康と生活にスポットを当てた情報を発信しております。

まだ駆け出しなので、テーマが漠然として定まってないのですが、

少しずつテーマが絞れていることを実感しています。

ここでは、題名にも挙げております「インクルーシブ」という言葉

これを考えていく場にすることをコンセプトにしようと思います。

もしも興味がある方は是非、お手を止めて読んでいただけると嬉しいです。

 

 

 

さて、今日お話ししたいことは、タイトルにもあります…

合理的配慮

という言葉についてお話していきたいと思います。

これは、インクルーシブという言葉を考えるときには

避けて通れないキーワードとなるかなと個人的には思います。

簡単に意味を申し上げますと…

主に障がい(ハンディキャップ)のある人からの支援の意思があれば

問題解決、バリア撤去の為に可能な範囲で対応しましょう

といった感じの意味になります。

 

 

 

インクルーシブという考え方は、この世界に生きるあらゆる人々の、

それぞれの多様性が尊重されるべき…といった感じです。

子供、大人、高齢者や身体または精神にハンディキャップを背負った人々…

その全ての人がその人らしさを認め合い生きる世界、というか社会…。

「共生社会」なんて言い方をしたりしますね。

しかしまぁ、簡単にそれが実現できるのかということなのですよ。

合理的配慮という言葉ができたということは、

その背景には、差別的な扱いを受けてきたという事実があるということです。

身体にハンディキャップがあるというだけで、何らかの手続きが行えない…

車いすに乗っているだけで、好きなお店への入店を断られる…等ですね。

今はずいぶん減ったと思いますが、やはりそのような名残を残している場所も

少なからずあるように感じます。

わたし個人の考えとしては、何よりも人の心に根付いているように感じます。

目の前で車いすを漕いでいる人が居たら何を思うでしょうか?

どんな目でそのような人々を見るでしょうか?

意識的にか、無意識的にか…物理的に距離をとる人もいるかもしれません。

 

 

 

 

この世界は、やはり健常者の価値観を軸に作られていると思います。

大多数が健常者である以上、マイノリティ(少数派)にとっては生きづらいです。

私自身も、子供のころは…人数が多い方に流れていたような気がします。

なんだか正しい場所にいる気がする、安心するからでしょうか…。

自分とは異なる「カタチ」や「特徴」の人に話しかけられたらどうしよう…

なるべく話しかけられないように離れておこう…

そんな気持ちだったのかもしれません。

ただ、悪意はないんですよね…防衛本能でしょうか…。

でも、これは差別的な思想なのかもと…今になってみれば思います。

ただ、自分が相手を警戒しているということは、

相手も同じような気持ちを抱いているかもしれないのですね。

相手もきっと不安で仕方ないはずです。

 

 

 

数が多いというのは、そのまま「強さ」や「権力」ととることもできます。

そして健常者は明らかに数が多いんです、社会的に強いんです。

だからこそ、先に手を差し出すべきは、相対的に強い方であってほしいんです。

なにをすればいいのかわからないなら、わかろうとする努力をして下さい。

その姿勢が救いになると思います。うれしいはずです。

なにで困っているのかを是非聞いてみてください。

それこそが合理的配慮だと、私は思います。

理解しようとすること、手を差し伸べること、ともに足並みを揃えること

ここに尽きるのかなぁ…。

 

 

 

 

あ、でもマイノリティ=弱いという決めつけは違うと思います…。

そのように思われるような文章の書き方にも見えるので…すみません…。

人格としてはみんな強いです。たくましく生きてます。

社会的な立ち位置としてはいまだ確立には至らないのか…といった解釈です。

知ったふうな口をきいているようにもとれますかね…。

気分を害する方がいれば申し訳ないです。

 

 

 

 

 

今回の記事は、文部科学省様の情報を参考にさせていただきました。

よければ読んでみてください。

 

 

今回のお話はこれくらいにしようと思います。

また、お時間があれば是非お立ち寄りいただければと思います。

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