このブログを見つけてくれた皆様、ありがとうございます。
こちらでは「インクルーシブ」について考えることをコンセプトとして様々な情報発信を行っています。
今回お話ししたことですが…
見出しにも書いております、
「多様性の誤認」
という言葉についてです。
今までインクルーシブという言葉の説明に再三に渡り使ってきた言葉ですが…
今一度、この言葉を振り返ってみます。
多様性について
多様性…いろいろある
ということです。
この「多様性」という言葉は、インクルーシブを語る上でも、SDGsを語る上でも必ずと言っていいほど出てくる言葉です。
多様性って…?
多様性とは…ですが、
一言で言うと…
一人一人の違いを認める
ということになりますかね。
ただ……
なんとも都合のいい言葉にも聞こえる。
何でもありってことなのでしょうか…?
それは違うでしょうね…。
明確なゴールというか…果たすべき使命、成し遂げるべき課題みたいなものは、その先に確かにあると思います。
そこにたどり着くために、様々な視点から考えてみる、行動してみる…的な感じかな?
日本での「多様性」を考えてみる
日本でいう「多様性」と言えば、
多様な人材による多様な働き方を認める
という解釈なんですね。
具体的に言いますと…
女性の社会進出
子育てと仕事の両立できる環境づくり
障がい者の雇用促進
高齢者の雇用促進
とか…ですかね。
未婚の男性、既婚の男性、未婚の女性、既婚の女性、ハンディキャップ(障がい)を持つ人、高齢者…全て社会に生きる人ですが、ライフスタイルや価値観が異なることは明確ですね。
そういった異なる価値観を持つ人が同じ場所に集い、同じ目標を達成しようとする…っていうことなんでしょう。
多様性を意識しすぎると…
確かに多様性を重んじるのは大切なように聞こえますね。
当然ですが、目標に向かって歩むスピードが違うでしょう。
歩みが早い人が、遅い人を見てどう思うか…。
要領のいい人が、要領の悪い人をみてどう感じるのか…。
多様性を受容しすることで、今の生きる場所でデメリットが発生するのではないか…
という懸念が生まれますね。
どんな大義名分でも、いいことづくめってことは難しいんでしょうね…。
皆さんは、どのように感じますか?
また、どのように向き合いますか?
まぁ…自分のものさし(価値観)で他人を測ることは間違ってるのかなぁとは思いますね…。
職場での多様性について
ここでは、多様な人材の多様な働き方という言葉があるので、職場での多様性について考えてみたいのですが、
まず、職場の道理を考えてみたらいいかもです。
職場の目的はなにか…。
職場の規則はなにか…。
どのようなノルマが課せられているのか…。
時間的制約はどの程度か…。
例えば…仕事を早く片付けることは、もちろん良いことですよね。余白時間も作れますね。
ただ、仕事を早く片付けなくてはならないという規則があるのか…ということです。
そして、その仕事の期限などは、差し迫っているかいないか…なども考慮するといいですね。
確かに仕事が遅い人もいますね…ただ、遅いだけで的外れな仕事をしてるわけではないかも…。
極論、その人なりには頑張ってるのかもしれない…ってことですよね。
多様性の実現に向けて
やはりいろいろな人がいると、いろいろな考えが同時に介在することになりますから、
誰が何を、どのように考えているのか…
とか、把握するのは…
正直いって至難の業ですよね。
多様性実現の為に、話し合う!
難しいんですけど…
でも…
それを確かめるためには、
相手の話を聞くこと
これに尽きると思います。
家だろうと、
学校だろうと、
職場だろうと、
いかなるコミュニティでも、
理想は、そこにいる全ての人と話をしてみることですね。
それが無理なんだよ…って話かもですが…
それを成せるかどうかが、多様性の実現に向けてふるいにかけられる場面なんだと思います。
ですが、勿論…
それですべてが解決するわけではないです…
多様性を実現するためには不可欠ですね。
自分の考えを主張するのも多様性
「I message」という言葉がありますが、
自分の言葉や考えを述べるということです。
その為にも…相手に、自身の考えを述べる自由を与えなくてはいけない、言いやすい環境でなければなりません。
ですけど…
相手の価値観を全て受け入れるなんて、不可能だと思います。
だからこそ、話し合うのでしょう。
この部分は受け入れられるけど、ここは受け入れることはできない…みたいな交渉が必要なんだと思います。
家族ではないですからね、職場のルールというものがあります。その上での多様性なので、やはり無理なこともあると思います。
多様性の解釈は…多様です……
何でもありではないというのは、そういうことですね。ある目標を達成するための組織が存在し、そのルールの上で多様性を実現する…。
なので、そのルール上…無理なことは当然あるということです。
曖昧な表現だからこそ…誤解を招きやすい言葉とも言えますね…。
都合よく使われるようなことにはなってほしくないですね…。
では、
一通り多様性についてお話ししましたので…
本日のテーマに移っていきたいと思います。
多様性の誤認
では、いよいよ本題ですね。
多様性の誤認ということですが、
やはり、最近でてきた言葉なので…
世間に十分浸透していないという
前提の課題があるように思われます。
言葉としては知っているけど…
実際どうなの?
的な想いを抱いている方もいるかと思います。
まぁ…
ぶっちゃけると…
私もそうなんですけどね…(笑)。
だからこそ、
しっかり学んでいきたいと思ってます。
今から書く内容が、
人によっては間違いだと、
思われる方もいらっしゃるかと思います。
ですけど…
私なりに調べまして
私なりにまとめ、導きだした
私の考えを、述べる場とさせていただきます。
ご了承下さい…。
多様性を理解する=受け入れる?
まずは、この言葉なのですが…
「多様性を理解する」とか
「多様な価値観を理解する」とか
そういった感じの言葉です。
私自身のブログ記事でも書いてきました。
まぁ…
そうとしか書けないのですが…。
「理解する」ということの意味ですよね。
理解するというのは…
「知識として持っている状態」
みたいに思ってませんか?
確かに、そういう解釈ができます。
ただ、
そうなると…
知識として持っていれば…
多様性を受け入れられている…。
の、でしょうか…?
違う…でしょうねぇ……。
スポーツの知識を持っていれば、
そのスポーツが上手いって
言ってるようなものですね。
「知ってること」と「行っていること」は違いますね。
「知識」と「行動」が一体となってこそ
「多様性の理解」という風に捉えてほしいです。
多様性を理解するためには?
では、多様性を理解するために必要なことを考えていきましょう。
私的には…
多様性の誤認といいますか…
日本での多様性が浸透しない理由みたいなのが
これなんじゃないかなと…
そんなことを書いていきます。
ざっくりと書きますと、
◆「カタチ」を重要視しすぎてる
◆自分を疎かにしすぎている
◆受け入れる準備がそもそもできてない
◆日本人の価値観を捨てきれてない
と、いった感じでしょうか!
1つずつみてきます。
「カタチ」を重要視し過ぎてる
まずは、これです。
日本人の特徴なのかなぁ…
とか思います。
とにかく「カタチ」を重要視する人種だなと
半身不随とか、車いすとか
手が無い、足が無いなどの人をみると…
良くも悪くも、過剰に反応しませんか?
日本では、こういった意識が比較的高いように感じます。(個人の見解です…。)
私自身は病院で働いていますので、
割と車いすの人とかは日常的にお見かけするのですが…
ですけど、そんな私でも道端を車いすを漕いで移動している人をみると、
つい目で追ってしまいますね…。
偉そうなことを言っておきながら、
私自身も「カタチ」にこだわっている…
そんな感じがします。
未熟だなぁと…
経験が足りないなぁと思いますね。
それで、
ここで言いたいのは…
いわゆる「カタチ」というもの…
記事の冒頭部分でも述べたような
育児中の職員の勤務時間を調整とか…
障がい者の雇用とか…
女性の社会進出の機会を与えるとか…
まぁ、もちろん
素晴らしいことなのですが、
「カタチ」の整備をすれば、
多様性の理解を果たせたと言えるのか…
ということです。
表面的な一体感…というよりも
内面的な一体感
これを重要視したいものです。
内面というのは、
まさにその人の価値観とか、考えですね。
「カタチ」を作るときに、
果たして女性や障がい者、育児を担う人に
どの程度、話を聞いているのでしょう。
その程度現場を知ってる人が
「カタチ」を定めているのでしょう?
よりよい「カタチ」を作りたいならば、
マーケティングをしましょう。
現場を知りましょう。
自分を疎かにしている
続いては、
自分というものを見ていない
というテーマについてお話しします。
「多様な価値観を認める」といった言葉…
何度も言ってますが、
いろんな人の価値観を認める
ということですよね。
いろんな人とは…
自分以外と思ってませんか?
自分も含めて…
「いろんな人」
なのですね。
日本人の美徳だと思います。
「己」を下げて、人を立てる。
実に素晴らしいです。
ですが…ですよ……。
自分は何も言わなくていい…。
ということでは、断じてないですよ!
己を殺すなんてことは、
今の時代では流行らないですね。
多様性の社会では、
一人一人が主人公だとも言えます。
価値観を調和させるには、
自身の価値観を固める、伝える…。
これが非常に重要です。
多様性という言葉の発端ともなった
インクルーシブ
SDGs
ESD
これらの3つは、
「社会問題を自分事として捉える」
という考え方があります。
私のブログでは、ESDのところで
記事にしてたかなと思います…。
ですので、
多様性というものは
他人の意見を尊重することは勿論ですが
自分の考えをしっかり持つ
これが、大切です。
受け入れる準備が出来てない
続いては、こちらですね。
そもそも、
多様性を受け入れる器を持ってない
ということ…です。
多様性の誤認を起こす一番の要因かも…
しれないかなと、個人的には思います。
なんといいますか…
急に、
多様性って言葉が世界にやってきて、
一方的に、
「多様性、大事にしてね!」
みたいな感じで…
丸投げされてる感じですよね…(笑)。
多様性って言葉が一人歩きしてる感じ…
そんな印象を覚えますねぇ。
そんな状況で、
無理やり多様性を押し付けられたら
めっちゃストレスだと思います。
いきなり何にも知らないことを言われて
当たり前のように
理解してるでしょみたいな…。
多様性を取り入れたいならば、
職場を管理する立場の人が、
十分に多様性を理解する必要があります。
漠然として概念を伝えるのではなく、
多様性の実現には何が具体的に何が必要か…
職場なら職場、学校なら学校という
具体的な場所で具体的な提案をすること…。
これが大事なのかなぁ…
なんてことを考えてます。
それこそ職場なんか、
やっぱり社会なので、
多様性について聞くこともありますけど、
一方的に漠然と説明されただけじゃ
到底理解できませんし、
ただただ、
目先の知識をいただくだけでは、
何をしたらいいかわからないですよね…。
最悪の場合、
職場で起きる何らかの問題に対しても
「多様性の時代だから…」
みたいな理由で
うやむやにされる可能性だってあります。
これが「多様性の誤認」ということの
最悪な事例です。
多様性という概念を
安易に取り入れないように
十分気を付けましょう。
十分すぎるくらい
知識をつけてから多様性について考えていきましょう。
日本人の価値観を捨てきれない
最後の話題がこちらです。
これも、厄介ですね…。
これも多様性をブレさせる大きな要因
だと思います。
これはいわゆる「伝統」だと思います。
「美徳」とは少々異なると…思います…。
日本の教育についてなのですが、
子どもの時は…
みんなが同じことをする
みたいな教育を受けてきましたよね?
同じ制服…
同じランドセル…
同じ食べ物を、好き嫌いなく完食…
この規範から逸脱する子は、
指導を受けますよね。
現代では、だいぶ緩和されてますが…
やはり、完全に払しょくできたとは
言えないのかなと…考えてます。
ものを教える立場の人間が、
そういった教育を受けてますから…。
これはいわば…
伝統を塗り替える
ということにもなりますね。
そりゃあ…
時間かかりますよね…。
いま、まさに
時代が、歴史が変わろうとしてる…
そんな感じなんでしょう!
時代のを変えるのは…
他の誰かじゃありませんよ。
自分を含めた、みんなで変えるんです。
自分事と捉えて、
現在を、
未来を生きましょう。
おわりです!
今回は、これで終了とさせていただきます。
お疲れ様でした。
変わりゆく価値観のお話なので、
また解釈も異なってくるかもしれないです。
その都度、その都度…
定期的にでも、
言葉の持つ意味について、
考えてもいいのかなと思います。
この記事に興味を持っていただいた方は
是非次も、
お目通しいただけると嬉しいです。
では、また会いましょう!
今回の記事は以下のサイトを参考に作成させていただきました。
どれも非常に面白いサイトです。
是非、お目通しをよろしくお願いします。
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