松戸小1事件から学ぶ…。

このブログをみつけてくれた皆様、ありがとうございます。

ここでは「インクルーシブ」について考えることを主なコンセプトとして様々な情報を発信しています。

 

 

しかし、それ以外にもいくつかのカテゴリに分けていろいろと書いてます。

 

 

 

今回、お話したい内容ですが、タイトルにも書かれていることです。

非常に心が痛む出来事がありました。

 

 

目次

事件の概要

この事件の概要について触れておきます。

結論を言いますと、小1の女児が行方不明となり、後日遺体となって発見されたという経緯です。

 

 

事件の発覚

事件は、千葉県松戸市にて起きました。

松戸市に住む、小学1年生の南朝芽さん(7)は9月23日の午前11時半ごろ、母親と近くの公園で遊ぶ約束をしていた為、母親より先に自宅を出ました。

 

 

その後、5分程度後に母親が朝芽さんを追いかける形で家をでました。

 

 

 

母親が公園に到着したのですが、そこには先にいるはずの朝芽さんの姿が見当たりませんでした。

 

 

その後、家族による捜索が行われるも、見つけ出すことはできず午後3時過ぎに警察に通報したことによって事件は発覚しました。

 

 

警察による捜索

通報を受けてから、警察の捜索が始まりました。

 

同日の正午ごろには、公園近くの防犯カメラに、朝芽さんに似ていると思われる姿が記録されており、キックスケーターで移動していたそうです。

 

 

 

通報後、1時間ほど経過した午後4時ごろでは捜索に参加していた母親の友人により、集まる約束をしていた公園とは別の公園で、朝芽さんのキックスケーターが発見されました。

 

 

翌日の9月24日、キックスケーターの見つかった公園から少し離れた江戸川の河川敷のサッカーグラウンドで朝芽さんの靴と靴下が発見されました。

 

 

グラウンドは草刈りされていて、靴は片方が裏返った状態で見つかっており、その近くに靴下があったとのことです。

 

この靴と靴下がみつかったのは、江戸川からは約40m離れていた、河川敷の中央付近だったそうです。

 

 

 

 

その後の9月28日に、靴と靴下が見つかった江戸川から約1キロ下流にある松戸市内の取水口で、事件当時に朝芽さんが身につけていた帽子が見つかりました。

 

 

子どもと思われる遺体を発見

警察の捜査介入から11日経過した令和4年10月4日、市川市の旧江戸川にて、人のようなものが浮いていると、近くを通りかかった人から通報がありました。

 

警察が駆けつけると、それは子どもと思われる遺体であり、身元の特定を進めると共に、司法解剖が行われました。

 

遺体発見翌日の5日、解剖の結果、大量の水を飲んだことによる溺死の可能性があることが判明しました。

     

 

 

骨折など、事件性を思わせる外傷は認められなかったそうで、死後1~2週間程度経過しているものと思われるそうです。

 

 

遺体の特徴が、行方不明の朝芽さんと似ているということからDNA鑑定を行った結果、朝芽さんのDNAと照合結果が一致したことで、遺体の身元は朝芽さんであることが確認できたそうです。

 

 

 

 

 

なぜ起きてしまったのか

以上が事件のおおまかな内容となっています。

 

この事件は今もなお捜査が続いています。事故にように思えますが、事件性が無いとも断定できないとの見解もあるようです。

 

 

 

ここで私が述べたいことは、事件か事故かということではなく、このような事件がなぜ起きてしまったのか…について考えたいと思います。

 

 

 

近くの公園だから大丈夫

この事件のきっかけは、朝芽さんが一人で公園に向かっていったということですよね。

 

 

小学1年生で、慣れた道であり、かつ行ったことのある公園ならば、大丈夫だろうと思うのは当然だと思います。

 

正直、私も同じ立場で同じ状況にいたら、同じ判断をしていたと思います。

 

 

ですが、災難とはそういった一瞬の気の緩みによって引き起こされるのだと、改めて思い知りました…

何事もないのは、本当に運が良いだけなのだろうと思います。

 

 

発見が遅くなってしまった

もう一つ、考えられるのは行方不明になった直後に発見できず、発見が大幅に遅れてしまったということも、一つ考えられる要因と思います。

 

 

キックスケーターの落ちていた場所や靴、靴下など不可解な点が多く見受けられますが…

なぜ、そのようなルートで移動することになったのか、それを正確に語れる人はいないのでしょうか…。

 

 

自由を与えるリスク

子どもの身体年齢や精神年齢が上がってくれば、徐々に責任能力なども身についてくるので、それによって子どもが徐々に大人から自由になっていくのですが…。

 

 

 

 

どのタイミングで、どの程度自由にさせてやるかを見極めるのは困難だと思います。

 

 

 

子供が自由に動き回ると、当然親の目が行き届かなくなります。それをどこまで容認するべきなのでしょうか…?

 

これについては10人の親に聞くと10通りの回答が得られるんじゃないかと思うくらい回答が難しい質問ですね…。

 

 

 

 

防ぎようはあった?

では、今回の事件は予防策を講じる余地があったのかどうか…

ということを考えていきたいと思います。

 

 

個人的な見解なのですが…今後、朝芽さんのような子どもを一人も出さない為の予防策は、講じる余地があると思います。

 

地域住民による声掛け

私自身が、仕事関連の本を読んでいた時に書いてあった言葉なんですけど、

 

子どもたちは、地域で育てていくもの…といったような旨が書かれていたのを思い出します。

 

 

 

今でこそ、住民同士の関わり合いは薄くなってきておりますが、大人が子どもに声掛けするという風習は良いと思います。

 

 

もちろん声をかける方と声をかけられる方のどちらも、顔を知っていなくてはダメですね…。

 

 

知らない人に声をかけられると、恐怖です…。

 

 

ハーネスの装着

もう一つはハーネスを装着するという手があります。

 

といっても、これが適応となるのは…使用する人にもよるのでしょうが親の言うことを理解できない年代の子が使うものなんです。

 

 

何度説明しても、走り回ってしまう子ども達が対象となるように感じます。なので今回の事件で言えば、朝芽さんには不適切だったと思われます。

 

軽く偏見も入ってしまって申し訳ないのですが、おそらくハーネスが適応になるのは、2~3才くらいの子ども達だと思います。

 

 

GPSを持たせる

わたし個人としては、この方法が一番いいのではないかと思ってます。

 

全ての子ども達にGPSを身につけさせるという法律を作ってほしいくらいに思ってます。

 

 

今は、子ども用のGPS端末は沢山の種類が販売されているようです。

興味のある方は是非、GPSで検索してみてください。非常に優れているものばかりです。

 

 

現在地を知らせてくれるのは勿論なのですが、特定の場所(学校や塾)に着くと、お知らせしてくれたり、数分ごとにGPSの現在地を記録して、行動の軌跡を辿ったりすることもできるんですね~!!

 

まぁ…しかしそこが短所とも言えますね…。

 

よく言えば「見守る」ということですが、GPSを装着している人の立場に立つと「監視されている」という認識になり得るということです。

 

自分の行動をなにからなにまで監視されるというのは…いかに子どもだったとしても不快感を抱く子が居てもおかしくはないと思います。

 

 

予防策の本質はなにか…

以上に挙げたような方法が、今回のような事件を防ぐための手段の一部だと思います。

 

     

この事件以外にも、子どもが亡くなってしまう事件はいくつもありました。直近の出来事でいえば、幼稚園の送迎バスに置き去りにされた事件がありましたね。

 

 

あの事件も絶対に防がなくてはいけないものだったとわたしは考えています。

 

 

結局は、人による確認がおろそかになった結果…つまりヒューマンエラーですよね。

 

 

 

人間は必ずミスをする…だから何か物事を成すときは、ミスをする前提でものを考えなくてはならないということでしょう。

 

 

そういうところを見極めて、機械に委ねるなどの対策を講じることでエラーを防ぐことにつながるかもしれません。

 

 

今回の朝芽さんの事件や送迎バス置き去り事件なども、防いでいくための対策を講じる上で考えなくてはいけない本質というのは、

 

いかにして、子ども達の所在や移動経路をリアルタイムで把握するか…

 

ということだと思います。

 

 

わたしなりに、この事件で一番考えなくてはいけない論点を、その言葉に集約した場合に、それを最も叶えてくれる機械は、GPSなのかなぁ…と思っています。

 

この記事を書く意味について…

この事件を、わたしがブログを通して記録しておきたい理由は、当然ですがこの事件を風化させない為です。

 

忘れてはいけない事件だと思います。

 

 

なぜ、忘れてしまう?

しかし、こういった事件というのはその時には強く印象に残るのですが、時間が経つと忘れていってしまうんですね。

 

 

これはなぜかというと…

 

 

 

他人事だから

 

 

 

です。

 

自分に直接関係ないことは、忘れるように人の頭はできています。だから忘れるんですね。

 

 

あとは、聞くだけでアウトプットをしないから忘れる…ということもあります。

 

インプット(情報として聞く)するだけでは、よっぽど自分にとって有益かショッキングな内容でない限り記憶に定着しません。

 

忘れないように定着させるにはインプットの後でアウトプット(書き出したり、誰かに説明する)などの行動が不可欠です。

 

 

当事者意識をもってほしい

今後も、こういった悲しい事件は起きると思います。

 

そのたびに私たちは、情報としてそれを聞くことになります。

 

 

その時に是非意識してほしいことがあります。

 

常にとは言いませんが、

 

せめて、その時だけでも

 

 

  

その事件の当事者として意識してみる

 

 

 

という心構えをもってほしいと思います。

 

自分の周りの人が、そういった目に遭ってしまったら、そういった目に遭わない為には今なにができるのか…。

 

 

そういったことを、

その時に考えて、

周りの仲間と話し合い、

何かしらの結論を出す。

 

 

 

それをするだけでも、ものの見え方は変わってくると思います。

 

一人一人が強い意識を持って、予防に努めることで、社会はより良い方向へ変わっていくのではないでしょうか…?

 

 

ただの理想論かもですが…。

 

 

今回は以上になります。

今後も、何か自分なりの気づきがあれば、

書いていくつもりです。

 

興味を持たれた方がいましたら、

是非また、お立ち寄りください。

 

では、また会いましょう。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次