このブログを見つけてくれた皆様、
ありがとうございます。
このブログでは、
インクルーシブについて考える
ことをメインコンセプトとして、
様々な情報発信をしています。
それ以外にも、
いくつかのカテゴリに分けて
記事作成を頑張っています。
今回お話しする内容は…
私の子育て体験についてのお話しです。
子育てにおける「しつけ」
はい、
今回のお話しなのですが…
しつけのお話しですね。
この言葉も…
なかなか定義が難しいというか…
言葉としては、
定義があると思います。
ですけど、
実際に子供に対して、
行動するとなると…
怒ってるのか…
叱ってるのか…
しつけをしてるのか…
よくわからんという…
ことですね。
この記事を通じて、
それら全てを明らかにする…
とまではいきませんけど、
私なりに、
何らかの結論を出したいと思います。
4才…言って聞かせる?
うちの子も、
4才になりました。
気が付けば、
もう4年も経ったのですねぇ…。
共働きなので、
1才から保育園デビューを果たし…
3才から保育園を変えて…
新しい保育園での生活が、
1年経過しました。
3才からの保育園での生活は、
成長を大きく感じ取れるというか…
生活する能力が、
沢山身についてるという
実感がありますね。
1~3才のときの保育園とは、
少し違っているのでしょう。
保育園という小さな社会での、
ルールを守るということを、
学んでいるのだと思います。
保育園は、
育児のプロが集まる場所なので、
何かしらの、
子どもを律する方法論的なものが、
あるのだと思いますし、
そういった土台が、
全て整っている場所なので、
割と円滑に、
ルールを学ばせることが、
可能なんだと思います。
これが本当にすごい…
そう思います。
と、言いますのも…
家の中では、
そうはいかないからですね…(笑)。
親という立場から、
子供にいろいろと、
言って聞かせるのですが…
言っても聞かないんですね…。
3才とかは…
言って聞かせる前に、
そもそもやってあげてました。
ですけど、
4才になると、
ある程度、
保育園で学んできます。
なので、
自分でできることが、
増えてきますね。
ですけど、
この時期が難しい時期でもある…
と、
私としては思います。
子どもとしては、
成長の境界に立ってるんですね。
自分でできることがわかる…
でも、
同時に、
めんどくさいというか…
やりたくないという感情も、
芽生えるのだと思います。
ましてや、
家にいたときは、
親がやってくれていました。
そして、
保育園での生活も、
楽しいことばかりではないと…
思われます。
思い通りにいかないことも、
あるでしょう…。
子どもなりに気を遣うことも、
あるでしょう…。
だからこそ、
家の中では甘えたいのでしょう。
そういった…
いろいろなことが重なった結果、
言っても聞かないという、
現象が起きてしまった…。
と、私は思ってます。
言うことを聞かない時…
言っても聞いてくれない時…
どうするでしょうか?
「子どもが言うことを聞かない」と
ネットで検索すれば…
沢山の答えが、
でてくることでしょう…。
わたしも、
実際に検索してみて…
いろいろと試しましたねぇ。
ですけどまぁ…
うまくいかないんですよ。
これは、
子どもを持つ立場の人であれば、
多くの人が体験すると思います。
そりゃそうですよね…。
ネットに書いてある通りに、
実践して上手くいけば…
誰も育児に悩まないです。
ネットの記事というものは、
他人の答えなので、
そもそも本当にうまくいったのか…
それが疑問ですし、
どんな性格の子どもに対して、
上手くいったのか…
みたいなことも、
いまいちわかりづらいのかな…
と、思います。
安定の脱線ですね…(笑)。
子どもが言うことを聞かない時…
何をしましたか?
わたしは、
めちゃくちゃ怒ったことがあります。
強い言葉を浴びせたことがあります。
そして…
無理やり子どもに言い聞かせて、
その場を治めたこともあります…。
どのネット記事にも、
怒ってはいけないと書いてるのに…
やってしまったことがあります。
手っ取り早いからでしょうね…。
後は…
忙しくて時間がないとか…
周りの人の目とか…
親が未熟だからとか…
いろんな理由はあるでしょうが…
一番やってはいけない対応を、
やってしまうんですね…。
親子そろって疲れ果てる…
起こって無理やり言い聞かせて…
その後、
ことが上手くいくはずが無いんです。
親の思い通りになって、
それで良しとするなど…
もはや独裁者の発想です…。
もしも、
子どもを自分の思い通りにして…
それで良しと思っているなら、
それは、
毒親になりかけているかもです。
DVの入り口に立っています。
すぐに引き返して下さい。
大半の親は、
そんなことないと思います。
子どもの意見や想いを、
尊重してあげると思います。
ただ…
4才くらいともなると、
自我がしっかり形成されてきます。
だからこそ、
説得が非常に困難になるんですね。
成長の過程として、
我慢することを教える時でもあり…
親はそれを理解できても…
子供には、
簡単に理解できるはずがないです。
現実的な理由もあります。
お金のはなしですね。
3才くらいだと、
簡単なおもちゃでごまかせます…(笑)。
なんなら、
100均のおもちゃで満足します。
4才くらいになると、
欲しいものの水準が上がるんです。
そうなると、
お金もかかってくると…
いうわけですね。
だから、
欲しいものをセーブさせる…。
だから、
言って聞かせて我慢させる。
そういう機会が増えてくるわけです。
しかし…
4才児は、手ごわいですよ…(笑)。
簡単には折れないわけです…。
お菓子買ってあげるから…
お菓子ごときでは、
おもちゃを我慢できないわけです。
また今度買ってあげるから…
今度っていつだよ…
そんなに待てないわけです。
もうお兄ちゃん、お姉ちゃんでしょ…
そんなの親の価値観だろと…
まだまだ子どもなわけです。
なんとでも言い訳されます。
わがままの質が高いです。
簡単に折れないです。
なんなら、
今まで親が折れてきたから…
今回も折れてくれるだろうという、
過去の経験もあります。
しかし、
そろそろしつけをする時期…
教育方針が徐々に変わっていく時期、
それが4~5才なのかな…?
だから、悩むのですね。
親も子も悩みます…。
親は子供に対して…
子供は親に対して…
上手く伝えることができない。
だから、
理性で処理できないが為に…
感情が上回ってしまうと、
だから、
怒ってしまうのでしょう…。
親が怒ると…
子どもも怒り狂います…。
子どもは当然、
理性が発達していないので…
より、感情が露骨になります。
感情を感情で抑え込む…
感情と感情のぶつかり合い…。
それが必要な時間とも言えますが…
とにかく…
疲れますね。
そういったことが続くと…
親も子も、
疲れ果ててしまうんですね…。
そして罪悪感で一日を過ごす…
そろそろ、
しつけなければいけない…。
将来、子供が困らないように
いろいろなルールを教えておく…。
しっかり説明すれば、
子どもは解ってくれると、
ネットの記事に書いてあった…。
言って聞かせる…。
説明してみる。
全然言うことを聞かない…。
聞いてたんと違う…。
どうしよう…
子どもを言い聞かせる為の、
手段がわからない…。
仕方ない…
大きな声で強い言葉を使おう…
本気で置いていこうとしてみよう…
子どもを不安にさせれば…
ホントは親と離れたくないくせに…
どうせ離れないに決まっていると、
親を試しているんだろう…
親が怒ったらどうなるか、
1回くらい怖い思いをさせて…
骨身に染みつかせてやれば、
今後、言うことも聞くだろ…。
よし…
大きな声で叱って、
置いていってみよう…。
というのが、
実際に私がとった行動です…。
最悪ですね。
最悪だとわかってやりました。
ですけど…
間違いなくやってはいけないと…
わかっていても、
そういう行動をとってしまう…。
それくらい、
育児というのは、
人の心を追い詰めていくのです。
育児に疲れて、子供を殺した…
みたいなニュースがあります。
そういうことをする親は、
当然、許されることではありません。
そんなことをするなら、
子どもなんか作るなと、
そう思います。
ただ、
育児と向き合っていると…
かわいいはずのわが子が、
かわいくなく見えることが…。
確かにあるなと、
わたしは経験を通して思います。
殺人なんて、ありえないですが…。
最悪な結末を迎える…。
そういう家庭もあるんです。
またしても脱線…(笑)。
大きな声で怒る…。
と、いうか…
わたしのケースですと、
自分の感情をぶつけてますね…。
そんなことした日には…
当然…子どもは泣きますね。
すべてが止まります。
言うことを聞くわけもない…。
泣き止むのを待つという…
最悪のロスタイムです…。
それ以上に…
最悪な対応をしてしまったという、
とてつもない絶望と罪悪感に、
襲われてしまいます…。
自分より弱い立場にいる人を…
ましてや、それが子どもなんて…
どんだけ小さい人間なんだよ…。
どんだけ余裕ないんだよ…。
客観的に自分を見てみるのを、
想像すると…
恥ずかしくて死にたいです…。
そういう出来事は、
大体…
時間的にゆとりの無い朝に起きます。
なので、
子どもも親も最悪な精神状態で、
保育園に預けたりするわけです。
そうなると…
仕事なんて手につかないですね。
明らかにパフォーマンスが下がる…。
子どものことばかり考えてしまいます。
なので、
感情のままに怒ることのメリットは、
何一つありません…。
しいて言うなら、
その場をしのげるだけです…。
ただただ…
当事者、周囲の人を不安にさせると…
デメリットだらけですね。
過干渉かも…と思った出来事
はい、
では、どうしようと…。
そういう話になります。
そこで、
わたしの価値観が変わった、
ある出来事についてお話しします。
父親の私が発熱でダウン
ある日の出来事なのですが…
保育園が、
とある都合で休園になったことが
ありました。
その休園日は、
わたしの仕事が休みだったので、
問題ないと思っていました。
ところが、その日に…
わたしが、
熱を出してしまったんですね…。
さて、どうしようと…
そういう時、
実は奥さんの実家が、
近いところにあるんです。
なので、
不測の事態が起きてしまった時は
義実家に預けるという…
奥の手があるわけです。
なので、
今回も例によって、
義実家に預けようと…
電話をすると、
現在旅行中とのことで…
そもそも家に居ない…。
という…
はい…
詰んだ…。
子供に委ねてみた
詰みましたね…(笑)。
誰にも頼れない…
八方塞がりとはこのことです…。
熱があって身体がしんどいのに、
子どもも世話をする…
そんなこと…
できるわけないでしょ…。
でも、
やらないと…
いや、無理だ…
身体が動かない…
目でみることが精いっぱいだ…。
あぁ…
また変なことしようとしてる…
失敗するぞ…
散らかるぞ…
言わなきゃ…注意しなきゃ…
あぁ…でも、
口で言うのもキツイ…
もう…
なんか、どうでも良くなってきた。
まぁ、いっか…
散らかったら、散らかった時か…
失敗したら、失敗した時だな…。
うん…
好きにやらせてみよう…。
とりあえず、
危険なことにならないように…
見るだけは見ておこう…。
…といったような感じで、
その日の行動の大半を、
子ども自身に委ねてみたわけです。
委ねてみたというか…
そうするしかなかった…
と言った方が正解です…(笑)。
えっ…めっちゃ良い立ち回り…
不安はありつつも、
どうにもできないので…
子どもを見守ることにしました。
とは言っても、
ほんとに見ることしかできず…
失敗してしまっても、
私は何もできません…。
ところが…
です。
朝ごはんの準備とか、
その日はコーンフレークを、
チョイスしたわけですけど、
自分で引き出しを開けて、
コーンフレークを出し…
自分の食器も…
手の届かないところにあるのですが、
椅子を運んで足場を作り、
自分で取り出すわけですね…(笑)。
そして…
冷蔵庫を開け、牛乳をとりだし…
食器にコーンフレークを入れ…
牛乳をこぼさずに投入…。
スプーンを取り出して、
椅子に座り…
いただきますの挨拶をし…
しっかり食べきって、
ごちそうさまをする…。
そして、
食器をシンクまで運ぶ…
なんなら…
不完全ではあるものの、
食器洗いまでしてしまう…。
そして寝ている私の目の前で、
ドヤ顔でかっこいいポーズをきめる。
なん………だと…?
全部…できてるやん…?
なんて…
素敵な立ち回りをするんだ…。
その日に、
いきなり成長するなんて、
不可能ですよね。
かといって、
最初からなんでもできる子…
とも、考えにくい…。
単純に…驚きましたね。
親のやることを、
みていたのでしょうね。
朝ごはんを食べる手順を、
いつの間にか…
全て頭の中で整理、処理できるように
なっていたんです。
それだけじゃなくて、
クローゼットから洋服を持ってきて、
自分で着替えをしたり…
着替えた服を、
ランドリーボックスに入れたり…。
掃除機で、
掃除をしたり…。
いやいやいや…
口出さない方が凄い子やんと…。
その日に、
めちゃくちゃ感じました…。
これって…
その日にたまたま、
上手くいっただけなんじゃないかと、
思ったので…
私が休みの日に、
口を出さないで、見守るように
してみたところ…。
まぁ、成功率100%とは
いきません…。
当然、失敗もありますが…
明らかに、
口うるさく言っている時よりも、
行動が早く、正確なんですね。
口うるさい…
という言葉も、
そういった出来事が、
あったからこそ気が付いたことです。
良かれと思って、
世話してたつもりが、
ただの口うるさい大人だったと…
ハッとした出来事でした。
過干渉育児の問題
といった出来事が、
ありまして…
親であるわたしが…
必要以上に言い過ぎていたのだろうと、
そういう気づきが得られた出来事が、
ありました。
これがいわゆる、
過干渉育児
というものなのだと思います。
この過干渉育児は、
結構…問題だということで、
ネットでも多くの記事をみつけます。
悪気なくなってしまうから、
気づきにくいということも、
あるのでしょうか…?
わたしの場合は、
運よく気づくことができました。
最後は、
過干渉育児について、
少しお伝えさせていただきます。
親が先回りして、可能性を奪う
過干渉育児ですが、
これは、
親が子供を、
「きちんと育てよう」とか
「立派な大人にしよう」とか、
そういう気持ちが、
根底にあると考えられます。
そりゃ、そうですよね。
せっかく、
この世に生まれたなら…
立派になってほしいですよね。
私たちは大人だから、
ある程度…生き方が固まってますけど、
子どもは、
未来への可能性があるから…
今のうちに、
将来、役に立ちそうなことを
習得させると得になると…。
そういったマインドです。
だからこそ、
なるべく最短距離で、
立派にしようとするんですね。
私は大人だから、
ある程度の経験があります。
だからこそ、
何が良くて、何が悪いとか…
何が成功で、何が失敗か…
こうすれば効率が良いとか…
そういうことを、
わかった気になっています。
その…
親の偏った価値観を、
子供に向けてしまうんですね。
適切な価値観もありますが…
当然、
不適切な価値観もあるんです。
子どもが歩道を走っていて、
車道に出てしまいそうになった時に、
それを制止して、
注意喚起として叱る…。
これは、適切だと思います。
その失敗は、
取り返しがつかない失敗に、
なってしまうから…ですね。
命が大切だという価値観は、
議論の余地がないほど、
適切な価値観です。
では、不適切な価値観とは…
何でしょうか?
議論の余地がないもを、
適切としているので、
不適切な価値観とは、
議論の余地があるもの…
ということです。
そんなの…
漠然とし過ぎだろと…
思いますよね…(笑)。
特に、日常生活場面に起きる
ほぼ全ての出来事については、
議論の余地があります。
ああした方がいい、
こうした方がいいかも…。
といった感じです。
子どものやることと言えば…
身の回りのことですね。
例えば、朝ごはんとか…
これを食べた方がいいとか…
この食器を使うほうがいいとか…
この手順で準備する方がいいとか…
この場所で食べるのがいいとか…
なんとでも議論できますね。
そういう中で、
大人は自分の「朝ごはん」の正解を、
形成しているわけですよ。
そこへ、
親の正解を知らない子どもが…
朝ごはんを食べようとして、
いろいろなアクションを起こすと…
いろいろ言われるわけですね。
親の正解に当てはまらない行動を、
とろうとすると、
それを正そうとするわけです。
子どもの不正解と親の正解、
これを
すり合わせようとする過程で、
たくさん口出しするんですね。
そこで、非常に良くないのが、
親が先回りしてしまう
ということです。
ついつい、
これが正解だよと…
先に子供に教えちゃうんですね。
どうしてそんなことをするのか…
子どもの為だから?
失敗してほしくないから?
立派になれるから?
多分、違いますね。
おそらくですけど、
先に正解を提示する方が、
親が楽なんです。
親が、
自分主体で考えているから、
そんなことになるんですね。
子どもの為って…
子どもがやろうとしていることを、
制止している地点で、
子どもの為になってないですよね。
子どもには、
子どもの世界、正解があるのです。
親が先回りして、
あれこれ口をだすことは、
親が中心軸になって、
子どもを振り回しているような…
そういうイメージを、
わたしは持っています。
理想は、
逆なんですよ…。
子どもが問いを見つける姿を見守る
子どもが、
冷蔵庫の扉を開けて、
牛乳パックを持って運ぶ…。
こぼれたら大変だと言って、
牛乳パックを持ってあげるねと、
親が子供に言う…。
なんでもない、
よくある風景だと思います。
子どもは、
牛乳パックを持ってほしいと、
親に頼んだでしょうか?
頼んでないですよね?
自分で運びたいんですよ。
自分で運べるかな?
自分が運ぼうとするとどうなるの?
牛乳パックでどんな手触り?
冷蔵庫の牛乳パックに手が届く?
牛乳パックは冷たいの?
テーブルに置けるかな?
できたら褒めてもらえるかな?
多分…ですけど、
そういったことを考えているんだと、
私は思います。
子どもは、
成長しようとする生き物です。
これは、絶対です。
だから、いろんなことをします。
牛乳パックを運ぶということも、
様々な問いから生まれる行動でしょう。
その問いを明らかにする為に、
子どもは動くわけです。
その結果、どうだったのか?
それを、
親は聞いてあげればいいんです。
牛乳パックを持ちあげて、
あっという間にテーブルへ置く…。
それで楽なのは親です。
子どもは、自分の問いを明らかにする…
貴重な機会を奪われたんですよ。
子どもは
わけのわからないことを…
沢山するかと思いますが、
それはおそらく、
何かしらの問いに、
向き合っている姿なのですね。
この行動を抑制することは、
おそらくですが、
子どもの主体性を奪います。
親ならば、
子どもが何をしても、
どんと構えていたいものですね。
子どもが問いをみつけた時間を、
親は奪ってはいけません。
心配ではなく、信頼へ
親がなんでも先回り…
これは、
悪意などではないんですね。
むしろ善意…
よかれと思って子どもに、
いろいろお世話を焼くわけです。
その善意というものの、
根源にある親心とは…
心配
なのでしょう。
まぁ…
親が楽したいという下心も、
ありますが…(笑)。
それはとりあえず、
ここでは棚に上げときます…(笑)。
子どもが心配だし、
親が楽したい…。
わたしがそうです。
子どものことが心配です。
なにが心配なのか…
それは、
おそらく人それぞれでしょう。
ですが、
私が思ったことを、
ここでお伝えさせて頂きます。
なにが心配なのか…?
このままでいいのかな…。
時間かかりすぎてるな…。
ケガしたらどうしよう…。
失敗したら悲しいだろうな…。
もっと良いやり方があるのにな…。
他の子に遅れをとってないかな…。
などなど…ですね。
子どもに
嫌な思いをしてほしくないと…。
そういった親心です。
子どもが思うままに行動した結果、
集団からはみ出るようなことに
なってしまうことが、
将来的に心配だと、
いうことなのですね。
将来、立派になってほしいから、
こんなところで、
つまづいてる場合じゃない…。
みたいな心情もあるのかな…?
子どもが何かをやろうとしてる時に
親がみていると、
できると信じたい気持ちと、
できないと心配する気持ちの、
2つが心の中にあると思います。
できると信じる気持ち=信頼
できないと疑う気持ち=心配
信頼と心配…
どちらが勝つか…
ということです。
ここで、大半の場合…
心配が勝つのですね。
これは…
子どもに対して…
というだけの話ではないですね。
対人関係…社会の中でも、
こういった気持ちの揺らぎはあります。
何をやってもうまくできないA君を、
次こそは、できると信じる。
そんなことできますか?
過半数の人は、
無理だと思うでしょう。
そりゃそうですよね。
失敗した責任をとるのは…
A君の周りの人ですからね…。
迷惑をかけるわけです。
例えばあなたが、
A君を指導する立場にいたならば…
その責任はあなたがとるのです。
余計な仕事が増えるわけです。
周りに迷惑をかけて…
恥ずかしい思いをして…
後ろ指をさされたりして…
めちゃくちゃ嫌ですよね…。
ある程度のことを、
正確に素早く行動できなければ…
周囲の人に迷惑をかけてしまう…。
という経験を、
大人である親は知っているので…
そういう経験を回避したい…
そう思うのは当然ですね。
なので、
子どもには、
早い段階でそれを教えておく。
そうすることで、
何がダメなのかを知り、
立派な大人に近づいていく…。
そんな風に信じている…。
ところが、
それは違うみたいですね。
子どもを心配することは、
つまるところ…
子どもを疑っているんですよ。
その疑う気持ちを、
確実に子どもは感じています。
だから、
子どもの目線で言えば…
常に親から疑われている…。
常に親から監視されている…。
みたいに感じるわけです。
親が良かれと思って、
いろいろしてあげてたのは…
それは親の気持ちであって、
子どもの気持ちではない。
その善意は、
子どもにとっては悪意となる。
それを理解することです。
子ども自身が、
経験を通して…
成功したり、失敗したりする。
成功も失敗も、
子どもが自分でたどり着いたこと…。
これが、
成長の土壌です。
そして肥料であり水です。
子どもが親の言うことではなく、
自分の意思で決断して、
知り得たもの…。
それ最も、
子供に必要なものであります。
親からの金言ではありません。
子ども自身の発見です。
その為には、
是非とも、
心配を圧倒するほどの信頼を、
子供に注いでください。
命に関わることでなければ、
見守ってあげましょう。
親という字は、
木に立って見ると書きます。
見守ってあげるのが、
親の仕事です。
口や手を出すのは、
いざって時だけにしましょう。
行動による利益をめっちゃ褒める
子どもを信じる。
子どもの行動を見守る。
これが親の役目…
だと、わたしは思ってます。
子どもが何か行動を起こし…
成功するか、失敗するか…。
というか…
成功とか失敗という概念自体が、
親の目線です。
子どもにとっては、
どんな結果であれ、新しい発見です。
失敗ではなく、
うまいこといかない方法を
新たに発見しただけなんです。
エジソンが、
そんなこと言ってたと思う…。
そういう声掛けが、
親の立場では重要ですね。
「失敗しちゃったね…」ではなく、
「新しい発見じゃん‼‼」と言って、
喜んであげるんです。
成功とか失敗とかの前に…
行動したことを褒めるべきです。
成功だけを褒めていたら、
成功に固執してしまい、
失敗を恐れる人間になります。
失敗は失敗ではないと、
むしろ発見なのだという風に、
捉え方を変える。
そうすると、
失敗という概念がぼやけます。
そうすると、
行動することのハードルも、
下がるわけですよ。
なので、
行動を褒めてあげてください。
どのように褒めるか…
これが、親の腕の見せどころ…
ですね(笑)。
自己肯定感、自尊心、主体性UP
行動を褒める…
何が起きても褒める。
どんなことをやらかしたとしても…
例えば、
極端な話、
誰かを傷つけてしまった…。
そんな時は、
褒めようがないと思います。
そりゃ、
他人を傷つけてしまったことは、
ちゃんと叱ってください。
でも、
そうなる過程で、
子どもなりに行動したはずですね。
そこで、
なにか、子供の味方ができる要因が
必ずあるはずです。
それを、
子どもと対話する過程で、
見つけてあげるのが
親の務めであります。
大好きなおもちゃをとられた
とすると…
おもちゃくらいで人を傷つけるな‼‼
なんて言いますかね…?
よくよく聞いてみると、
その大好きなおもちゃは、
パパとママに買ってもらったから…
だからとられたくなかった。
といった理由があるかもしれません。
だとしたら、
パパとママの為に、
子どもは戦ってくれたわけです。
最高の子どもじゃないですか…。
めちゃくちゃ褒めるべきです。
ゲームで勝てなかったから、
怒って傷つけてしまった…。
そんなケースではどうでしょうか?
たかがゲームで、
他人を傷つけるやつがあるか‼‼
なんて、言うでしょうか…?
これについては、
褒める要素が無いでしょうか?
たかがゲーム…
それはゲームを知らない大人の、
偏見ですね。
子供にとっては、
人生において大切なもののはずです。
大好きなゲームなんです。
そこで、
勝てない相手に出会った…。
そういう時に、
どうしていいかわからない。
この怒りを、どう処理すればいいか
わからない…。
何かにつまづいて怒ることは、
それだけ、
真剣に取り組んでいる証拠ですよ。
夢中だったということです。
そうでなければ、
負けたら、簡単に諦めているはず…。
諦めたくないから、
怒るわけですよ。
他人を傷つけたことは、
きちんと叱りましょう。
ただ…
その怒りは、
非常に前向きなエネルギーです。
困難に立ち向かう時の…
壁を打ち破る時の…
貴重なエネルギーなんですよ。
それを、
ゲームを通じて育むことができた。
困難に立ち向かう…
倒れても立ち上がる…。
そんな強い感情を手に入れた…。
最高の子どもかよ…
めちゃくちゃ褒めるべきです…。
とにかく、
行動のフィードバックを
最終的に、前向きな感じで終わると…
子どもの自信を
育むことができるわけです。
それは、
自己肯定感の高い子どもに、
育ってくれると、
私は信じています。
ダメなことは、
思いっきり叱るんです。
でもそれは、
厳しくても、
短く、尾を引かないことです。
その後、
行動を称賛してあげましょう。
そうすれば、
次はどうすればいいか、
子どもはわかっているはずです。
そうして、
子どもの主体性や自尊心が、
育ってくれる…
と、わたしは思います。
おわりです
今回の内容は、以上になります。
いかがでしたでしょうか?
偶然の経験からの気づきなのですが…。
以前に記事にも、
今回の経験に通ずるものがあります。
それも参考になるかと思います。
つかず離れず…。
適切な距離感を見つけることが、
大切なのだと思います。
ですけど、
しっかり距離を縮めることが、
メリットが大きい子どももいます‼‼
そこは、
やはり親としての見極めが、
必要なのでしょう…。
しっかり、
子どもの言葉や行動を、
見つめてあげて下さい。
答えは、
親ではなく、子供が持っています。
以下に、参考となった記事を
リンクさせていただきます。
是非、見てみて下さい。
この記事がおもしろいと、
思っていただいた皆様‼‼
是非、もう一度お立ち寄り頂けると
とても励みになります。
では、
またお会いしましょう‼‼
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