SDGs目標4-5:教育の平等Ⅲ(民族)

このブログを見つけていただいた皆様、ありがとうございます。

こちらでは「インクルーシブ」について考えることをコンセプトとして様々な情報発信を行っているブログとなっています。

もしも興味を持たれた方は是非一度、読んでいただけると幸いです。

 

 

目次

民族を考える…

今回は、民族という観点から教育の平等について考えていきたいと思います。

 

 

こちらのテーマは、将来的にお話しようと考えておりますSDGs 10番目の目標「人と国の不平等をなくそう」とも内容が重複しますので、ご了承いただければと思います。

 

 

 

 民族って何?

というわけで、民族について少し考えてみましょう。

 

 

みなさんは、民族というとどんなことを連想するでしょうか…?

〇〇〇族…アイヌ民族とか……。日本ではそういった名前の民族が有名ですよね。

あとは…細かく言うならば被差別部落とか、在日××人、外国人労働者なども広義には「民族」と呼べると考えられます。

 

 

今回お話したいテーマで言うと、民族というのは主に「先住民族」を指すと思ってください。

民族と人種は違う?

民族を考えるときに、人によっては「白人」や「黒人」、「黄色人種」とかを連想された方もいらっしゃるのではないでしょうか?

そういったくくりは「人種」というものですね。

では、どういう風に使い分けるかいうことですが…このように理解してください。

民族:文化が共通してる人々(風習とか宗教、言語とか)

人種:外見的特徴が共通してる人々(肌の色とか髪の色、目の色とか)。

とりあえず、簡単に分けるとこんな感じです。

 

 

 ただ、「民族」も「人種」も差別の対象となったり、マイノリティを形成しやすいものという点は共通する部分が多いですね。

 

 

 

 

 

今回のテーマは「民族」なので、ここはもう少し掘り下げていきます。

民族の定義

簡単に言えば上記のことですが、以下のように定義することもできます。

 

①独自の社会、文化、習慣などを一定期間持つ。

②同化を好まず独自の価値観を重んじる。

③集団の中の人々が集団である意識を持つ。

④数世代に渡って集団を形成している。

 

といった感じです。詳しい説明は割愛させていただきます…。

 

 

また将来的にもお話することもあろうと思うので、その時に詳しく語っていこうかと思ってます。

マイノリティの定義

先住民族とは、国際的な目線でみると、いわゆるマイノリティ(少数派)ということになります。

 

 

このマイノリティという言葉の定義も、実は諸説あるんですね。

 

いろんな国の偉い人がマイノリティについて語っているんですね…。

 

 

大変…大変に……僭越ではあるのですが簡単にまとめてみますと以下になります。

※僭越(せんえつ):私のような若輩者が生意気にものを語って申し訳ないですが…的な意味です。

 

①数的には劣勢の集団である。

②非支配的な立場の市民の集団である。

③民族的、宗教的、言語的特徴を持つ。

④自己規定を重要としている。

自己規定:自分が何者であるかを定めること。

 

と…いったところでしょうか。

難しいことばかり言ってすみません…。

先住民族における教育の不平等

今でこそ、こういってマイノリティの人権保護というものが、カタチとして実現可能な段階まで進んできていますが、昔はそうはいかなかったみたいですね。

 

「民族統合」という世界の流れ

なんか…歴史の授業っぽくなってる感が否めないんですけど…(笑)。

 

詳しくは教科書をみてくださいねっ!

 

 

 

人が増えて、さて国を作っていこうという流れの時代に、人々は何を思うかというと…

 

 

「みんなで同じことをやろう」

「みんなで同じ言葉を話そう」

「みんなで同じ気持ちを持とう」

 

 

みたいな発想になってた…みたいです。

 

 

 

国を作る人はそれでいいんですけど…

困るのは先住民族の皆様というわけですね。

 

 

つまり、国を作りたい人にとって、独自の思想を持とうとする彼らが邪魔だということです。

       

 

そこからの民族統合政策ということです。

内容は…

 

抹殺(genocide)・排除(exclusion)

強制隔離(segregation)

同化(assimilation)

 

 

聞くに堪えない言葉が並んでますね…。

 

 

こういうことをしていたのですね。

 

詳細として何が起こったかは割愛させていただきますが、先住民族…マイノリティにとっては耐え難い時代だったというわけです…。

 

 

 

教育への影響

ここまで語れば、先住民族の方々への教育がどうだったかは、いわずもがな予測できます…。

 

先住民族の人々すべてが排除されるわけではなかったようで…おそらく歩み寄ろうとする人々もいたのでしょう…。

 

 

しかしながら、教える側の人たちは、マイノリティには優しくなかったようです。

 

周縁化…と呼ぶんですが、意味は「端っこに追いやっていく」というニュアンスです。

 

 

 

 

何よりも共通言語ではなかったことが原因と思われますね。

 

先住民族の言語と、国を作っている人の言語が異なる。でも使う言語は国を作ってる人の言語を使いますよと…。

 

 

我々で言えば、いきなり授業が全部フランス語でやりますよ…みたいなことですよね。

 

 

 

教育の内容といっても、わけのわからない言葉を丸暗記させる…みたいなことみたいです。

 

 

 

 

 

過去にこういった悲惨な時代があったのだということを、是非知っておいてください。

 

基礎教育が欠落するということは、教育の根が育たないということです。

 

これは深刻な問題なのです…。

 

現在までの歩み

以上のような対応が明らかな問題として取り上げられてからは、徐々に良い方向へ、ベクトルが向いているようです。

多文化主義・自治

多文化主義とは、これまでの「同化」とは異なりそれぞれの多様性を認めながら、一つの社会として統合するという考え方になります。

 

多文化主義にも、いくつかの考え方が存在します。ですがここでは割愛します。

 

 

 

自治とは、self-rule等とも言われます。その土地に住む人(先住民族)が、社会的、文化的、経済的領域において自ら選択肢を作り、実行していく考え方です。

 

これが現代における自治体というものにつながるのでしょうね。

法整備など

法的な体制についても、時間とともに…戦争とともに徐々にマイノリティの権利保護を目的とした法律が確立されていったようです。

 

マイノリティへの迫害が行われた際に、然るべき場所へ提訴できるような機関の設立も成されました。(常設国際司法裁判所:PCIJ)

 

それ以降も、詳しくは割愛させて頂きますが、様々な法律が制定されたりや委員会が設置されたようです。

 

 

それにより、先住民族が昔よりもずっと生きやすい世の中にはなりつつある…と信じてます。

 

 

終わりです!

今回は、かなり難しい感じがしました…。

わかりやすくできなくて申し訳ないです。

 

 

しかし、時代が良くなったといっても、こうしてSDGsの掲げる目標に挙がるのだから、やはりまだまだ歩みが足りないのでしょう。

 

わたしの願いですが、一人一人がこのような問題に気づいていただきたいということです。

わたし自身も手探りで記事作成していますが…作りながらも問題意識が高まっていることを実感します。

 

これからも、情報発信は続ける予定なので、もしもこの記事がいいなと思ってくれた方は、次回も是非お立ち寄りください。

 

心よりお待ち申し上げております。

 

 

 

 

 

 

今回の記事作成はJICA(国際協力機構)様のサイトを大変参考にさせて頂きました。よければこちらも読んでみてください。

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