このブログをみつけていただきました皆様、ありがとうございます。
このブログでは「インクルーシブ」について考えることをコンセプトとして、様々な視点から情報発信を行っているブログになります。
最近は「SDGs」を理解することに絡めてインクルーシブの意味について掘り下げていってます。
今回もその続きということで、記事作成させていただきました。よろしければ、読んでいただけると幸いです。
今回の焦点は「障がいの有無」です。
今回のテーマとしては、前回に引き続き、教育の平等についてです。しかし今回は「性別」という観点からではなく「障がい」という観点から考えてみます。
障がいのある子どもへの教育
この話題については、過去の記事でもいくつか触れる機会があったかと思います。
インクルーシブを語る上では、必ずテーマに上がる話題ですね。
この話題についてはどれだけ議論しても足りないと思うので、ここで改めて考えてみることにしましょう。
今までの教育とは
今でこそインクルーシブという概念が徐々に浸透してきていますが、昔はそうではありませんでした。
単刀直入に言えば、区別化されていたわけですね。「健常者は健常者のクラス」、「障がいのある子は障がいのある子のクラス」といった感じですね。
というか……障がいのある子たちというのは、そもそも教育の対象から除外されていたんですね…。
今考えると、信じられないというか…人権というものについて意識が低かったのでしょうか。
そこから、時代の移り変わりによって様々な概念が生まれてきました。
以前の記事にも書かせていただいたのですが、ノーマライゼーションやインテグレーション教育という考え方ですね。
このような考え方が世界で生まれていく過程で、日本での教育についての価値観も徐々に変わっていったのではないでしょうか。
これからの教育とは?
ノーマライゼーションの考え方によって、身体や精神にハンディキャップを抱える人も、そうでない人も、同じ人間として尊重されるべきであるという価値観が確立されていきました。
そして、インテグレーション教育という考え方によって、学校教育の現場に変化が生まれます。
障がいのある子と、そうでない子が同じ場所で教育を受けるといった環境が、徐々に整備されていくようになりました。
そして、現在ですね。
ユニバーサルデザイン(年齢、性別、文化、障がいに関係なくやさしいデザイン)やダイバーシティ(多様性)といった言葉が浸透してきました。
そこから、今わたしがこのブログのコンセプトとさせていただいております「インクルーシブ」という言葉も世間で聞かれるようになりました。
……まだあんまり聞いたことないですかね。
これから、たくさんの人が意識していただくことを願って、伝え続けていきます。
どう教育するの?
では、このインクルーシブ教育について考えていきたいと思います。
以前の記事にも書かせていただいた内容と重複するかもなのですが…インクルーシブ教育とは、
年齢や性別、人種や文化、障がいの有無に関わらず、すべての人が取り残されることのない教育の在り方…。
みたいな感じです。
書いてみるのは簡単なのですが、そう簡単にはいかないですよね。
環境への合理的配慮
お互いに歩み寄る必要があるということです。
そのことを「合理的配慮」と言います。
これは記事にしてますので、良ければ読んでみてください。
この合理的配慮というものをいかにして機能させていくかというのが課題なのですね。
身体や精神のハンディキャップの実情は実に多様です。百人の子どもがいれば百通りの障がいの現れ方があります。
つまり、環境への合理的配慮とは…
その子たち一人一人の状態に合わせて柔軟に環境整備を行うこと。
ということになります。
合理的配慮の基礎となるような基本的な環境整備は勿論なのですが、やはりその障がい特性に応じた対応は必要になります。
そこが難しいところなのでしょうね。
何をどこまですればいいのか…これはなかなか把握しづらいと思います…。
人への合理的配慮
環境への合理的配慮は大切です。そしてもう一つ、人への合理的配慮が重要です。
これは何かというと…
障がいというものに理解を持ち、ある程度の対策を知った人間を作る。
ということです。
これについては、学校の先生が必要な教育を受けて、そのようになるというパターンがあります。
その他にも、学校の先生とは別にそういったことに詳しい専門の支援員を配置する…といったことも行われています。
そして、学校だけにとどまらず地域住民への啓発活動により、その地域全体の理解が深まる…ということになれば、とても良いですね。
いいことばかりではない…。
インクルーシブ教育の理念は素晴らしいものですが、それがスムーズに実現できるかといえば、そんなわけないのです。
子どもたちの意思
そもそもですけど、障がいのある子ども達みんながみんな、同じ場所で学びたいと思っているかどうか…なんですね。
やはりできないことがあると、疎外感や孤独感を感じてしまう可能性だってあります。
最悪の場合、いじめに発展することだってありえなくはないですね。
お金の問題
そしてコストの問題ですよね…。環境整備にしろ、専門的な教育や支援員の配置にしろお金がかかります。
いかにして財源を確保するのか…どこまで財源を割けるのか…これは重要な問題です。
周囲の人の意識
あとは、周りの人の意識が、どこまで子ども達に寄り添えるのか…ということです。
インクルーシブ教育に対して、不安を抱いてる人だって必ずいると思います。
みんなで学ぶよりも、少ない人数で理解のある人だけが集まって、手厚い教育を受けたいといった想いを抱くのも当然だと思います。
インクルーシブに何が必要?
いろんなメリットがある反面、やはりデメリットというのも…あるものですね。
しかしまぁ、私個人としては…インクルーシブの実現を願っている立場でこのブログを書かせていただいてます。
ですので、インクルーシブ教育は実現してほしいと思います。
みんなが主人公!とことん話そう!
そもそも、インクルーシブとユニバーサルって意味がすごく似てるんですね。
何が違うのかというと…インクルーシブには障がいのある人の主体性や参加といった概念が強く表れているんですね。
ユニバーサルは、障がいのある人のよりよい生活のために、健常な人が様々なアイディアを出す…といった意味合いになります。
なので、学校の現場でインクルーシブ教育を実現する為には…
その学校で学ぶ子ども達やその保護者などと、十分に対話することが重要…
ではないかと思います。
特に子ども達の意思を巻き込むことが大切であるような気がします。
子供の目線に立って、ものを考える為には…子ども達に聞いてみるのが一番シンプルで的確なように思います。
子ども達のより良い暮らしの為の話し合いなのですから、子ども達抜きに話をするのは、もったいないですよね!
おわりです!
以上で、今回の話をしめさせていただきます。
この話に興味を持たれた方は、是非ともまたお立ち寄りいただけると嬉しいです。
では、また会いましょう。
今回の記事は文部科学省様のページを参考にさせていただきました。
よければ、読んでみてください(めっちゃ難しいこと書いてますが…(笑))。
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